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2017/12/11 14:45 |
「情報としての人」が消える体験
3月の中旬に経験した「Dialogue in the Dark TOKYO」

その体験が余りにも衝撃的でようやく今になって落ち着いて語れるのかなー、と思ったので書き留める。

そもそも、ダイアログ・イン・ザ・ダークとは何か。
率直に言うと、「まっくらやみのエンターテイメント」

参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入って、暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験します。その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。(HPより抜粋)

会場内は全くの暗闇になっています、目が慣れるとかそんなレベルじゃない位。何十分たっても何も見えない暗闇の中を初対面の方々と一緒に行動を共にします、実際体験中は行動というか運命を共にしている感じw

初対面にも関わらず、お互いの声の頼りがいのあること。人間は本能として生きよう、生きようとする生き物なので、数少ない情報の中ではそれを信じきってしまうようです。途中川に架かった丸太橋や吊橋を渡るんだけども(もちろん落ちたら川)お互いの声だけを頼りに進むのね。あの安心感といった感覚はとても不思議です。

一つ感じた事、あの世界はインターネットにおけるオンラインコミュニティの疑似体験が可能な場だと思いました。自ら言葉を発しなければその個人は相手に認知されない状態になります。死ぬとか傍観者とかにも括られない「消える、存在そのものが無くなる」ような感覚に感じました。
そして、コミュニティ(この場合参加者)内にとってはその外の人の存在は全く感じないのです。そして、言葉が発されるとようやく個人として認知する。

個人として認知された場合、その言葉を情報として個人が形成され、その個人が相手として認知されるので、その個人は創作が可能といえます。これはインターネットで言うところの複数人格の定義に当てはまります。

昔、インターネットでコミュニケーションするったって殺伐としたものになるに決まってると思っていた俺自身が、この考えを否定できます。それを信じる事でしか、コミュニケーションが出来ないのだもの、対等の立場としてコミュニケーションを行う以上、こちら側で相手の人格を構築しなくてはいけない。

でもこれ、リアル世界でも人間が常として行っている行為なのよね。
ただ形成するための材料の配分が異なるだけ。


終わった後に、参加者同士の間にも不思議な感覚を体験します。
「相手の声はわかるけど顔がわからない」
余程、声の情報を頼りに会場内を行動していたのか、をまじまじと感じる事になります。1ヶ月たった今でも他の参加者7人の声ははっきりと覚えているのよね。どんな会話をしたのかも、はっきりと。でも顔はわからない。これは一見不気味な感覚なんだけども、当人にとっては不思議と暖かいという。やっぱ凄いなこのイベントは。


・・・、とりあえずココでおしまい。
まだまとまっていない、とも言う(ぉ

ダイアログインザダーク、東京行く予定の人はホントオススメです。
あれはインターネットを生きるツールとして組み込んでいる生活をしている人は人生経験として行った方が良いと思います。情報リテラシーを学ぶ上での一つの最終形態かもしれない。

Dialogue in the Dark TOKYO

なんとなく、卒業研究のテーマが見えてきたのかも?
来週、再来週には発表出来るようにしないとだなあー。


ん?先週言ってた予告の音の創作について?HAHAHA、予定は未定って言ったじゃないかー(ぉ
でもいつか書きます。書きたいことある。
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2009/04/22 23:52 | Comments(0) | TrackBack(0) | 雑記

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